私がモロッコ雑貨屋を始めたワケ

「なんでモロッコの雑貨屋をやろうと思ったんですか?」
そんな質問をされる事がよくあります。
今回は私がモロッコ雑貨屋を始めるに至った
いきさつを書いてみたいと思います。
私が初めてモロッコを訪れたのは2013年の春。
この頃は派遣の仕事がひと段落して、
「さて、これからどうしよう?」と、
今後の自分の進路に迷っていました。
少しお金と時間に余裕が出来たので、
命の洗濯ではないですが、
とりあえずこれまでなかなか行けなかった場所に
旅行でもしようと思い立ちました。
旅行サイトを見ながら「どこに行こうかな?」と、
あれこれ候補地を考えていてふと思い出した国「モロッコ」。
まだ高校生だった頃、
巷では聖子ちゃんの「マラケッシュ」と言う曲が流れていました。
その詞の世界に出てくる
「黒いベールで顔を隠す」「迷路の街」
「高い塔に月が登る」などなどのワードは
神秘的でロマンチックで私の心をわくわくさせました。
地図おたくだった私は世界地図を眺めながら、
マラケッシュの街を探しました。
地図上のモロッコには他に「カサブランカ」や「アトラス」もあり、
アトラスはギリシャ神話に出てくる神様の事なんだよね、
とそんなポイントもわくわくしました。
ネットなんか無かった時代に「一体どんな所なんだろう?」と、
地図を抱きながら夢想にふけっていました。
それから就職して海外旅行も行けるようになったけど、
「モロッコは遠くて無理」と諦めていて選択肢からはずっと外れていました。
そんなモロッコでしたが「今なら行けるんじゃ?」と選択肢の候補に上がり、
アフリカ大陸の国なんてこれ以上年取ったらハードで行けないかも、
まさしく「今でしょ!」(←2013年流行語大賞)と言うことで、
行き先はモロッコに決定しました。
初めてのアフリカ大陸は未知の世界。しかも一人旅。
外務省の注意喚起のホームページではモロッコは
意外にもノーマーク(2013年当時)ではありましたが、
やっぱり怖いし自力で各地を移動できる気がしなかったので、
ガイド兼ドライバー付きの車でモロッコのメジャーな観光スポットを
周遊するタイプのツアーにしました。
片言の英語しか話せないのに英語対応のドライバーのツアーを申し込むとは、
今思えばかなり無謀でしたが・・。
ドライバーはアハメッドと言う方でした。
私より3つくらい年上の、
中年らしい貫禄のあるアラブ系のおじさんという感じの人でしたが、
清潔感のあるチェックの開襟シャツを着ていて、
ラフだけどきちんとした人という印象でした。
10日ほどの行程をずっと一緒に回るので
どんなドライバーに当たるか心配でしたが、
陽気で気さくな雰囲気の方で安心しました。
旅の序盤、山道を走っていると、
小柄な女性が自分の背丈よりも大きな木の枝の束を背負って歩いていました。
するとアハメッドは
「あはは〜、君みたいな子が歩いてたね。
あなたはここに生まれなくて街に生まれてラッキーだね!」と言いました。
あぁ、ここではああやって木の枝を背負って
山道を歩きながら生活している人もいるのだなと。
反して私は街中で便利な生活をしている。
生まれた場所が違っただけで、こうも生き方に違いが出るのだな。
普段から悩みだらけだったけど、世界規模で見たら私は恵まれている。
頭ではわかっていたつもりだったけど、
目の当たりにするとストレートに心に刺さります。
その後もフェズの街中で
おそらく障害を持った娘さんと母親の物乞いを見ました。
私が子供の頃は物乞いはたまに見かけたりしましたが、
ここではまだこういう人がいるのだなとまた複雑な気持ちになりました。
そして旅の中盤、ずっと親切にしてくれて、
英語がほとんど伝わらないにも関わらず
楽しませてくれようとしたアハメッドでしたが、
「モロッコ絨毯のミュージアムに寄らないか?」と言ってきました。
出発前に見た情報ではモロッコの絨毯屋は
ぼったくられるから気をつけろというものが多く、
またモロッコの派手で大きな絨毯は全く興味がなかったので、
「そんなの売りつけられたらたまらない」と、
絶対絨毯屋には行かないようにしようと思っていました。
まぁでもミュージアムならいいか・・。
そう思い、「OK」とその場所に行ってみました。
しかし実際はミュージアムと言うより普通に絨毯屋でした。
(その街では本当にミュージアムとして
運営している場所だったのかも知れませんが)
とめどなく出てくる絨毯に困惑してアハメッドの方を見ると、
アハメッドは少し離れた場所に座ってじっと見ているだけ。
「私、カモにされてる!?」
ふつふつと怒りが湧いてきて「もう結構」と、
そのミュージアムを出ました。
絨毯屋は「ジャポーネーゼ、わからない???」と
キョトンとした顔をしていましたが、
アハメッドも後を追ってきて、私たちはその街を後にしました。
しばらくはお互い何事もなかったかのように車を走らせていましたが、
お昼休憩のトドラ渓谷に差し掛かった頃に、アハメッドが
「少し外を歩いてみる? 自分は少し先の休憩所で待ってるから」と
提案をしました。
しかし私は旅の疲れが溜まっていて歩くのがめんどくさく、
「いや、いい」と断ってしまいました。
そこからアハメッドの表情に暗雲が立ち込めたのでした。
ランチ休憩の後、絨毯屋でろくに見ないで店を出たこと、
渓谷を歩く提案も断ったこと、
「僕はあなたを楽しませたいだけなのに、
せっかくモロッコまで来たんだから楽しみなさい」と
注意されてしまいました。
問題のトドラ渓谷
これは私の悪い癖が出た場面でした。
警戒しすぎて逆に失礼な事をしてしまうとか、
めんどくさくて楽しい事もスルーしてしまうとか。
反省した私はアハメッドに謝り、
この後の旅をちゃんと楽しもうと思いました。
その日の夕方に到着したアイト・ベン・ハドゥという街で、
「ここにも絨毯屋があるけど見てみるか?」と聞かれたので、
立ち寄る事にしました。
アイト・ベン・ハドゥ
また次々とラグを見せられましたが、
先ほどの絨毯屋とは、商品のラインナップが少し違いました。
派手な模様のラグの中に混じって、
シンプルで可愛らしいデザインのラグがありました。
「何これちょっと可愛い」
意外にも心が動かされました。
私が少し興味を示していると、
似たようなものをいろいろ出してきました。
大きさと色合いが好みの感じのものもあります。
「可愛いけど、ラグは買わないって決めてたからな・・」
そう思い、その場では何も買わずに店を出ました。
店を出て宿に向かう途中、アハメッドはこんな話をしました。
「あの絨毯はね、ベルベルの女性が
2~3ヶ月もかけて手仕事で作ったものなんだよ。
僕は良くない物を進める人からはあなたをプロテクトする。
でもあなたは素晴らしいカーペットをここで安く買う事が出来て、
ベルベルの女性はそのお金を得る事でその子供達も潤う。
あなたもカーペットは思い出になるし、双方にとって良いと思ったんだ。」
モロッコのラグを売る常套句なのかな?とも思いましたが、
泊まった宿の部屋にも可愛いラグが敷かれていて
「こういう合わせ方するとおしゃれなんだな」という事がわかり、
あのお店にあったラグを思い出しました。
「やっぱり可愛かったよな・・」
この時点ですっかりラグの魅力に
取り憑かれていたのだと思います。
「うーん」と一晩悩んだ挙句、
次の日の朝、私はアハメッドに言いました。
「昨日のラグ屋に行きたい」
アハメッドは「無理して買わなくていいよ!」と言ったのですが、
私はそのラグを買わないで帰った方が後悔しそうだと思いました。
結局私はそのラグを購入し、
この旅の中で一番お気に入りのお土産になりました。
日本に戻ってからそのラグを調べてみると
「アフニフ」と言う種類のモロッコのラグだと言うことを知りました。
<参考記事>
モロッコラグ「アフニフ」の魅力
と同時にモロッコのラグにもいろいろ種類があるということを知りました。
<参考記事>
モロッコインテリアの参考に
〜モロッコラグの種類をご紹介〜
さらに深掘りしてくと、アハメッドが話していたように、
モロッコの田舎の女性は字が読めない人も多く、
仕事もなかなか無く、質素な暮らしを強いられていること。
仕事はラグを織ることくらいしかなく、
そのラグが売れてお金が入ると生活が少し潤い、
子供たちにもちょっとだけ贅沢をさせてあげられること。
おりしも私の方もこれから新しい何かを探そうと思っていた時期でもあり、
この可愛いラグがまだ日本ではほとんど知られていなく、
だったらこれを日本の人たちにも広めたいという気持ちが湧き上がりました。
これまでの仕事柄、パソコンを使う事が苦にならなかったのもあり、
「そうだ、ネットショップならできるかも!」と閃いたのが
全ての始まりでした。
モロッコを旅して現地の方々の屈託のない人懐っこさに癒された事、
アハメッドの親切でプロフェッショナルなガイドとしての仕事ぶり。
(おそらくアハメッドにとっては言葉もあまり通じない
めんどくさい客だったと思うし、いろいろあったけど、
最後に空港まで送ってもらう途中でプレゼントをいただき、
私は思わず号泣してしまった。)
アハメッドが言っていたように、モロッコラグを買う事により、
日本のお客さまは素敵なラグを手にする事ができて、
モロッコの女性は生活が向上する。
私がその両者を繋ぐ担い手になったのは、
私に新たな道を気づかせてくれたアハメッドや、
モロッコの人々への恩返しの気持ちからでもあります。
少し横道になりますが、
モロッコの織子さんは悲壮感漂う生活をしているわけではありません。
彼女たちはモロッコのラグ織りという仕事に対し、
「もっと上手くなりたい」と向上心を持っていて、
前向きに仕事に取り組んでいます。
私は実際に織子さんとお話ししてきましたが、
むしろ彼女たちからはキラキラしたエネルギーをもらった気がします。
彼女たちを応援したい気持ちもあります。
<参考記事>
モロッコラグの織子さんを産地まで行って取材しました
そんなこんなで最初はモロッコラグ(主にアフニフ)の
オンラインショップからのスタートでしたが、
そこからバブーシュを取り入れて
オリジナルデザインのものを作ったり(現在はオリジナルはやっていません)、
現地に買い付けに行って面白いものを見つけたりしているうちに、
取り扱うモロッコ雑貨たちの種類も増え、
さらには2018年に洗足池の実店舗もオープンする運びとなり、今に至っています。
改めて過去を振り返るとそれなりに道を歩いて来たのかな?と思います。
気づけばオンラインショップ立ち上げから12年も経っていますが、
基本的な精神はオープン当初から変わっていません。
モロッコの雑貨を買うことで、モロッコの人の生活の向上に繋がる事、
そして日本のお客様は素敵なモロッコの雑貨を手にする事で、
両者に笑顔を増やすのが、メズモロをやる意味だと思っています。
規模は小さなショップですが、今後もご愛顧いただけましたら幸いです。
ちなみに店名の「メズィヤーン モロッコ」は、
この時のガイド、アハメッドとのやりとりで
思い入れのある言葉から取ったものです。
良かったらこちらの記事も見てみて下さい♪
店名の由来エピソード